宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩は、私の大好きな詩の一つです。 私の日々を生きる信条です。

 「政治」って何なのでしょうか。
 「まちづくりの心」は・・・。

 この町を少しでも良くしたいと、政治的行動を起こすことを決意してから、この問いを真剣に考え続けてきました。
 多くの人に出会い、地域の問題を聞き、それぞれの人生に触れ、ふと立ち止まった時、宮沢賢治のこの詩が、違った光りを放って心に輝いてきました。
 一個の人間の生き方として信条にしていたこの詩が、今、何よりも政治家に求められている姿勢ではないかと・・・。
 宮沢賢治の詩には、深い真摯な祈りを感じます。町の発展、あらゆる人々の幸せへの祈り、そして、自己を律した生活と行動力・・・。
詩の中に感じられるあらゆる徳を満たすことは難しいかもしれない。
しかし、
 サウイフセイジカニ ワタシハナリタイ。

 


 7年半前、町議会議員選挙に立候補した時に、こう記しました。
 その思いは今も変わっていません。
 町政を担う立場になり、さらにその思いは強くなってきています。


 昨年、ろう者からの薦めもあって手話を学び始めました。障害者基本法では手話は言語とされています。 私自身、手話を学び、ろう者と交流する中で「手話は言語である」ということを知り、感じることができました。

 外国語を学ぶことにより、今まで知らなかった国の人々の文化、歴史、考え方を知り新たな世界が広がるように、 手話を学ぶことによって多くの気づきがありました。 手話という言語を共有することによって、 今まで見えなかったものが観え、聞こえなかったものが聞こえ、心の距離が近くなったように感じます。

 「風地観」(『易経』)という言葉があります。

 風は遍く広く地上を吹き渡っていきます。その風は私たちの目からは見ることができませんが、感じることができます。 風によって旗がひらめいたり草木がなびいたり、私たちの頬に風が当たって「今日は風がある」と感じることができます。それを観る。 「観」には「鳥の鳴き声」という意味があったそうです。鳥の鳴き声を聞いて鳥の存在を知ったり鳥の状態を知ったりすることです。

 まちづくりの要諦は、「見えないものを観る心」、それは、住民の皆さまの悲しみ、苦しみ、痛み、あるいは、喜び、夢や願いを感じる心ではないかと考えます。

 住民の皆さまの一人ひとりの声に耳を傾け、そして、声なき声をも観、少しでも町政に反映させていただく。 そのためには、自ら現場に赴き一人でも多くの住民の皆さまと意見を交わし、誠心誠意お話を聞かせていただく。

 「雨ニモマケズ」とともに、見えないものを観、聞こえない声をしっかり聞ける町づくりを進めてまいりたいと思います。  

 

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